♪支離滅裂♪

※※※※※只の元・二ートのブログです。お目汚し大変申し訳ございません。心よりお詫び申し上げます。

占いとか性格診断とか。yes,I’mポエマー。

少し前に性格診断をやったら、かなり当たっていると感じて、しばらくそのページばかり見ていた。どうもINFPです。

姓名判断には旧字と新字での診断結果があるみたいだ。旧字での診断結果が、以前の性格診断の結果にかなり近かった。どうも総格36画です。

自分大好きなんです。

 

頑張っているつもりだろうが端から見ると頑張ってないからな、と他人からよく言われるとです。ヒロシです。他人から見るとそうなんだろうな、と思う。

とはいえ自分視点で見ると、正直私はかなり組織に尽くすタイプだ。尽くすのが私の取り柄だと思っている。意味ないんだと思うが。だって何度も言うんだけど一時期姉の話を土日両日5時間くらい聞いてたけど家族曰く私が悪いんだとよ。大した働きじゃないらしいとよ。誰も労ってくれないとよ。家の自治会の仕事とかもしてたのに。管理組合ニュースとか書いてたのにしくしく。誰か家族をなんとかしてくれyo。

自分大好き過ぎてなかなか言えないが、吹奏楽部時代は中高大、トランペットの癖にまとまっていると言われるパートにいた。そう言われる事に対してかなり自分は貢献していたと思っているのが正直な所だ。それが事実だったかどうかなんて、なんとも言えんが私はとにかく異論は唱えない人間ではあった。

言っちゃなんだが当時吹奏楽部の何が好きって、演奏にはまず人がいないと無理だからこそ、頭数にでもなれる所が好きだと言う子供だった。吹奏楽は好きではなかった。下手だったし。でも周りの人がとても好きだったし部活特有なのかわからんが好き嫌い上手い下手では割り切れない人間関係が好きだった。

 

私の悪い所は、好きでない環境、もしくは大好きだけど不向きな環境に尽くしてしまう所だ。自分と違うのってすぐれてるんだろうと思ったり、憧れたりしてしまう。

 

性格診断にしろ姓名判断にしろ、書いてあったのは適度にわがままでいないと潰れるということだ。わがままというか、他人が分身できない分をなんとかしようとか他人に賛同する事で組織の力を強くしようと考えるよりも、自分が力をつける事を考える方が人生は細く長く続くってさ。他者のことを見ることで自分に力がつく場合もあるだろうがね。潰れるっていうか、形は色々だろうが、例えば尽くしたつもりでも見返りのなさに不平不満を持って結果的にその場から消えてしまうとかだと思う。

 

比較的好きだし比較的向いてるんだろうと思うものはある。

 

自分の比較的向くであろう環境ってあまり周りの人間を好きになれない。それは多分同族嫌悪なんだと思う。あと、自分がずっと不向きな環境にいたと思っていて、自分だって向く環境にいたかったと思う強い嫉妬心からくるんだと思う。

(分かり易い話では、私は帰国だが、本来超排他的な性格だし多分海外に興味がないんだと思う。語学がすごい嫌いだ。8年海外住んで、語学に対するコンプレックスを強く植え付けられただけだった。日本人が心底にくい。殺してやりたい位に嫉妬ばかりしている。日本でずっと暮らしてたら私こんな立ち位置だったんだろうな、と直感的に思う子が大の苦手なのだ正直内心。)

(そうじゃなくても私は、自分がどうでも良い様な事で忙しくしていた間に、誰かが誰かに何か教わっていたんじゃないか、とか、何かその子の中で積み重ねがあったんじゃないか、とか考えると心底嫉妬に狂う人間なのだ。一つの所にとどまれる人間が心底にくい。私も自分の好きなことで自分を少しずつ向上させるチャンスが欲しくて仕方ないのに。何かを積み重ねる人間なんて本当大嫌いだ。私にはそんな概念がない。(何かを生み出してるレベルだったら完敗するよ。ただ吸収だけをしてるやつが心底許せなくて殺してやりたい。))

例えば海外であったりは不向きな環境だったという前提に立ったとしてw、ずっと不向きな環境にいたもんだから、自分がそもそも何かを蓄えるとか出来なかったから、そういう環境でないと人間に好感を持てないのかもしれない。そして他人に好感を持つ持たないは、私の場合は人生のモチベーションにかなり関わる事だから大問題だ。他人に対する好感的なものが人生に欠けるとか本当もう人生が終わる。(占い的に言えば、8室過多の私は一人ぼっちの人生なんて無理らしい。当たっとるわー。)コツコツ自分の事というよりも目の前の組織に今尽力してる人を人間的に好きになってしまうし、私も支えてやらなければと思ってしまいがちで生きてきた。

でも向くんだろうなと思う環境は、比較的向くからか、力がついていくのが実感出来る。普通の視点で言うとそれってとても良いことだと思う。

 

多分言い方めちゃめちゃ下手だけど、向く環境にいる時と向かない環境にいる時で、他人の私を褒めてくれるポイントが違って、不向きな環境だと私の人間的な部分を褒めてくれるから、自分がやめられないのだと思う。

 

人に尽くしてると思ってしまうと、見返りがない時に、その人のせいにしてしまうというのは思春期には気付いていた。人生に対するモチベーション的なものを人に頼り過ぎるのは他人から見ても迷惑なことだ。だから、長期間かけて、自分が力の積み重ねが出来そうな環境へ少しずつ近付いてきたのだ。

 

私は向いてる環境に育ったとか、自分が何かを好きな事を周りに許して貰いながら今まで生きてきたんだろうなと思う人に対する嫉妬が止まらない。私は語学が向いていないし、ずっと、ポエマーな私のことは姉が嫌がってきたのだ。顔がマジで。海外なんて狭い世界ではほぼ家族しかいなかった。学校に行っても、アジアとかは知らんが多分日本以外で昼休み中にお絵描きする子供とかもいない。

 

割と自分の人生が欲しいなとかふらふらと思いながら今日まで生きてきている。

世の中普通に自分の事だけじゃ駄目だろうが、自分の力を蓄える生き方をこれからしてみるのも一つの案だなあと思う。

 

一時期思っていたのは、私はいざという時に人の役に立たないという事で、その為に自分の力を蓄えた方が良いという事だった。でもそういう考えとも、もう切り離して良いと思う。そもそもいざっていう時なんて誰だってどうして良いかわからなくて役立たずだ。役に立てたらラッキーくらいで良い。*1

 

インベスターZを読んでいるなう。途中なう。曰く、何をしてこなかったか、というのは重要らしい。向いてないものは切り捨ててしまえばとな。どうせ向いてないから、時間の無駄なのかもしれないし。

*1:そもそも私のこの人格形成は海外にいた時に日本にいる友達の危機的な状況に何も出来ない私的な所から来ていると思う。回り回ってその子をある意味で恨んでいるっちゃ恨んでいる。ざっくり言えば彼女が幸せになったら良いのに。似た事で言えば私は姉にも幸せになって欲しいんだけど、これって皆が私には自身のネガティヴな話ばかりしてきているだけ?人生のやる気なくすんだけど。姉には私はそういう窓口専門の人みたいに言われた事あるんだけど。本当は元来ネガティヴな話嫌いだし、多分好きな人なんていないだろうから(だってマジのやつなんだもん)、失礼しちゃうわプンプンって感じなんだけど。しかもそれを指摘したら何故か自身の性格の悪さに彼女は泣いた。私の為に泣いてくれ。